はじめに
「プロダクトレッドグロース(PLG)」とは、製品(プロダクト)そのものがマーケティングや営業の役割を担い、優れたユーザー体験を通じて顧客獲得や利用拡大を促進していく成長戦略です。主にSaaSビジネスで注目されるこの強力なコンセプトを、社内向けシステム開発に応用することが、本記事のテーマです。
多額の予算と時間をかけて導入したにもかかわらず、「一部の部署でしか使われない」「結局Excelでの手作業に戻ってしまった」といった社内システムの課題は、多くの企業で聞かれる悩みです。
この記事では、多くの企業のDX推進を支援してきた専門家の視点から、PLGの考え方を社内システム開発に応用することで、これらの根深い課題を解決し、従業員に本当に使われ、ビジネス価値を生み出し続けるシステムを実現するための具体的なアプローチを解説します。
なぜ今、社内システム開発にPLGの視点が必要なのか?
多くの企業がDXを推進する中で、社内システムの役割は単なる業務効率化ツールから、従業員の生産性やエンゲージメントを左右する重要な要素へと変化しています。しかし、その重要性とは裏腹に、多くのシステムが十分に活用されていない現実があります。
従来の開発手法の限界と「使われない」システムの現実
従来の社内システム開発は、「ウォーターフォール型」と呼ばれる手法が主流でした。最初に要件を固め、長い時間をかけて開発し、完成後に全社展開するモデルです。この手法には、大規模で変更の少ないシステムを安定して開発できる利点がある一方で、以下のような課題が顕在化しやすくなります。
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要求と現実の乖離: 開発期間が長期にわたるため、完成した頃にはビジネス環境や現場のニーズが変化してしまっている。
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一方的な機能の押し付け: 開発側の視点で「便利だろう」と実装された機能が、実際の業務フローに合わず、現場の従業員にとっては使いにくい。
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改善サイクルの遅さ: 一度リリースすると、軽微な修正にも大きなコストと時間がかかり、ユーザーからのフィードバックが反映されにくい。
結果として、従業員はシステムを使うことに価値を見出せず、利用が形骸化してしまうのです。これは、投資対効果(ROI)の観点からも、看過できない問題と言えるでしょう。
従業員体験(EX)向上が経営にもたらすインパクト
近年、顧客体験(CX)と並んで従業員体験(EX: Employee Experience)の重要性が増しています。使いにくいシステムは、日々の業務にストレスを与え、従業員の生産性や満足度を著しく低下させます。逆に、直感的で価値のあるシステムを提供することは、EXを向上させ、優秀な人材の定着や企業の創造性向上にも繋がります。
現在、多くの調査機関が指摘するように、EX向上に積極的に投資している企業は、そうでない企業に比べて高い生産性や低い離職率を示す傾向にあります。EXはもはや人事部門だけの課題ではなく、経営全体の課題として認識されています。
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PLGを「従業員中心のシステム改善思想」として再定義する
ここでPLGの考え方が活きてきます。社内システム開発においてPLGを応用するとは、単にマーケティング手法を取り入れることではありません。それは、開発の主語を「作り手」から「使い手(従業員)」へと転換する、「従業員中心のシステム改善思想」そのものなのです。
システムを「一度作って終わりの完成品」ではなく、「従業員からのフィードバックと利用データに基づいて常に成長し続ける生命体」として捉え、データドリブンで継続的に改善していくアプローチ。これこそが、社内システム開発におけるPLGの本質です。
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PLGのコアコンセプトを社内システムに応用する
PLGの概念を社内システムに適用するために、まずは主要な用語を私たちの文脈に合わせて読み替えてみましょう。
PLGのコンセプト | 社内システムへの応用 |
製品 (Product) | 経費精算システム、営業支援(SFA/CRM)ツール、プロジェクト管理ツールなど、社内で利用される各種システム |
顧客 (Customer) | システムを利用する全従業員(営業、経理、開発など、あらゆる部門のメンバー) |
成長 (Growth) | 売上や顧客数ではなく、システムの利用率、定着率、業務効率化による生産性向上、従業員満足度 |
このように捉え直すことで、社内システムを「成長させる」ための具体的な戦略が見えてきます。
実践!社内システムにおけるPLG的アプローチの具体的なステップ
では、具体的にどのようなステップで進めればよいのでしょうか。ここでは4つのステップに分けて解説します。
Step 1: “Aha!”モーメントの特定 – 従業員が価値を実感する瞬間
「Aha!モーメント」とは、ユーザーが製品の核心的な価値を理解し、「これは便利だ!」と実感する瞬間のことです。社内システムにおいても、この瞬間を設計し、従業員にいち早く体験してもらうことが利用定着の鍵となります。
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例(経費精算システムの場合):
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悪い体験: 多数の項目を手入力し、エラーで何度も差し戻される。
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Aha!モーメント: スマホで領収書を撮影しただけで、日付、金額、店名が自動入力され、申請が完了する。
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開発の初期段階で、従業員へのヒアリングや業務観察を通じて、「彼らが最も面倒だと感じている作業は何か」「システムによって最も劇的に改善される体験は何か」を突き詰め、Aha!モーメントを定義することが重要です。
Step 2: データ基盤の構築 – 利用状況の可視化と分析
PLGの根幹はデータドリブンな意思決定です。勘や経験だけに頼るのではなく、実際の利用データを客観的に分析し、改善の仮説を立てる必要があります。
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収集すべきデータの例:
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利用率: 部署別、役職別のログイン頻度、アクティブユーザー数
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機能利用: どの機能がよく使われ、どの機能が全く使われていないか
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タスク完了率: 申請から承認までのリードタイム、エラー発生率
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これらのデータを収集・分析するための基盤を構築することが、PLG的アプローチの第一歩となります。
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Step 3: フィードバックループの設計 – 定量的・定性的データの収集
利用データ(定量的データ)だけでは、「なぜその機能が使われないのか」という背景までは分かりません。そこで重要になるのが、従業員からの直接的な声(定性的データ)です。
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フィードバック収集の仕組み:
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システム内に簡単なアンケートやフィードバックボタンを設置する。
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定期的にユーザーグループインタビューを実施する。
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サポートへの問い合わせ内容を分析し、共通の課題を抽出する。
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これらのフィードバックを開発チームが直接受け取り、迅速に改善に繋げるループを構築します。
Step 4: アジャイルな改善サイクルの確立 – 小さな成功を積み重ねる
データとフィードバックから得られたインサイトを基に、優先順位を付けて改善を繰り返します。最初から100点満点のシステムを目指すのではなく、2週間~1ヶ月といった短いサイクルでアップデートを重ね、小さな成功体験を積み重ねていく「アジャイル開発」のアプローチが有効です。
このサイクルを回し続けることで、システムは常に現場のニーズに合わせて進化し、「自分たちの声が反映される」という実感は、従業員のシステムへの愛着を育むことにも繋がります。
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Google Cloud活用で加速する、社内システムPLG
こうしたデータドリブンな改善サイクルを効率的に回す上で、Google Cloudのサービスは非常に強力な武器となります。
BigQueryとLooker:利用状況のリアルタイム分析とインサイト獲得
システムの利用ログや各種業務データをBigQueryに集約することで、大規模なデータであっても高速に処理・分析できるデータ基盤を構築できます。そして、BIツールであるLookerを組み合わせれば、エンジニアでなくても直感的なダッシュボードで利用状況をリアルタイムに可視化し、課題の発見や改善効果の測定を容易に行えます。
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AppSheetとGoogleフォーム:迅速なプロトタイピングとフィードバック収集
全ての機能を最初から作り込むのではなく、まずはアイデアを形にして現場のフィードバックを得たい、という場面は少なくありません。ノーコード開発プラットフォームのAppSheetを使えば、スプレッドシートなどから簡単かつ迅速に業務アプリのプロトタイプを作成できます。また、Googleフォームをシステムに組み込むことで、手軽にフィードバック収集の仕組みを実装できます。
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Vertex AI:利用データに基づくパーソナライズとサジェスト機能の実装
AIの活用はシステム体験を飛躍的に向上させる鍵となっています。Vertex AIを活用すれば、蓄積された利用データに基づいて、ユーザーごとに最適な情報や機能を推薦(サジェスト)したり、入力作業を自動化したりといった、より高度なパーソナライゼーションを実現できます。これにより、従業員一人ひとりにとって「気の利く」システムへと進化させることが可能です。
社内システムへのPLG応用を成功させるための3つの鍵
この先進的なアプローチを成功に導くためには、技術的な側面だけでなく、組織的な観点も重要になります。私たちの支援経験から見えてきた、成功のための3つの鍵をご紹介します。
鍵1:スモールスタートと段階的な拡張
全社的な巨大システムを一度に変えようとすると、抵抗も大きく、失敗のリスクも高まります。まずは特定の部署や特定の課題にスコープを絞ってスモールスタートし、成功事例を作ることが重要です。そこで得られた学びや効果を全社に示しながら、段階的に対象を拡張していくアプローチが現実的です。
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鍵2:現場を巻き込む文化醸成とコミュニケーション
PLG的なアプローチは、開発チームだけで完結するものではありません。システムの「使い手」である現場の従業員を、開発の初期段階から巻き込み、彼らを「共犯者」にしていくことが不可欠です。定期的な情報共有やフィードバックへの迅速な対応を通じて、「自分たちのシステムを一緒に良くしていく」という文化を醸成することが、プロジェクトの推進力となります。
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鍵3:単なるツール導入で終わらない、専門家との伴走
データ基盤の構築やアジャイルな開発体制への移行は、多くの企業にとって未知の挑戦です。Google Cloudのような強力なツールも、そのポテンシャルを最大限に引き出すには深い知見と経験が求められます。
ここで重要になるのが、企業の文化や課題を深く理解し、技術と組織の両面から変革をリードできる外部の専門家の存在です。データ分析の専門家、アジャイル開発のコーチ、そしてクラウド技術に精通したアーキテクトが一体となり、お客様と伴走することで、プロジェクトは成功へと大きく近づきます。
XIMIXによる支援案内
私たちXIMIXは、Google Cloudの専門家集団として、これまで多くの中堅・大企業のDX推進を支援してまいりました。本記事でご紹介したような、データドリブンな社内システム改善においても、私たちの知見は必ずやお役に立てると確信しています。
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データ活用基盤の設計・構築: BigQueryやLookerを用いた、ビジネスに直結するデータ分析基盤の構築
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アジャイル開発体制の導入支援: ツール導入だけでなく、伴走での支援
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Google Cloudの最適活用コンサルティング: AppSheetによる迅速なアプリ開発から、Vertex AIを活用した高度な機能実装まで、お客様の課題に最適なソリューションを提案
「どこから手をつければ良いかわからない」「現在のシステム開発に行き詰まりを感じている」といったお悩みをお持ちでしたら、ぜひ一度、お気軽にご相談ください。
XIMIXのGoogle Workspace 導入支援についてはこちらをご覧ください。
XIMIXのGoogle Cloud 導入支援についてはこちらをご覧ください。
まとめ
本記事では、プロダクトレッドグロース(PLG)の考え方を社内システム開発に応用するという、新しいアプローチについて解説しました。
このアプローチの核心は、システムを「従業員」というユーザーのために、データに基づいて継続的に改善し続けるという思想にあります。
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従来の開発手法の限界を突破し、「使われないシステム」の問題を解決する。
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従業員体験(EX)を向上させ、生産性とエンゲージメントを高める。
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データに基づいた投資判断により、システム開発のROIを最大化する。
これは単なる開発手法の変更ではなく、DXを真に成功させるための、組織文化の変革でもあります。この記事が、貴社のシステム開発を次のステージへと進めるための一助となれば幸いです。
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