多くの企業において、DX(デジタルトランスフォーメーション)推進が経営の最優先課題となる一方で、それを支えるはずのセキュリティ対策は、依然として「コストセンター」や「ビジネスの足かせ」と見なされがちです。
新しいセキュリティソリューションの導入を提案しても、経営層から「その投資で、どれだけの売上が上がるのか?」と問われ、明確な回答に窮した経験を持つ情報システム部長や担当役員(CIO/CISO)は少なくないでしょう。
情報処理推進機構(IPA)が発表する「情報セキュリティ10大脅威」に挙げられるようなサイバー攻撃の脅威は年々高まっています。それにもかかわらず、予算要求は「万が一のための保険」として扱われ、十分な確保が難しい。
結果として、以下のような悪循環に陥っていないでしょうか。
ROIの不明確さ: 投資対効果が不明確なため、予算が十分に確保できない。
場当たり的な対策: 最小限の予算で、インシデントが発生するたびに場当たり的な対策(ポイントソリューションの導入)を繰り返す。
運用の疲弊とサイロ化: 導入したツールの管理が複雑化し、アラートが多発。セキュリティ部門が疲弊し、本当に重要な脅威を見逃す。
DXの遅延: 新しいテクノロジー(クラウド、AI、IoT)の導入に対し、セキュリティ部門がリスクを過度に恐れ、「ノー」を突きつけ、ビジネスのスピードが阻害される。
この状況を打開するには、私たち自身がセキュリティに対する考え方を根本から変え、経営層と同じ言語、すなわち「ビジネス価値の向上」と「投資対効果(ROI)」の文脈で語る必要があります。本記事では、セキュリティ投資が「コスト」と見なされる根本原因を解き明かし、それを「戦略的投資」として経営層に理解してもらうための具体的なアプローチを解説します。
経営層を説得できない根本原因は、単に「守りだから」という理由だけではありません。そこには、経営と現場の間に横たわる、いくつかの深刻な「ギャップ」が存在します。
セキュリティ投資の最大の成果は「インシデントが“起きない”こと」です。売上向上やコスト削減のように、施策の成果がプラスの数値として表れるわけではありません。
この「何も起こらないこと」の価値を金銭的に証明するのは極めて困難です。「何もしなかった場合に発生したであろう損失」は仮定の話であり、経営層には「過剰な心配」「万が一のための保険」と映ってしまいます。これが、セキュリティ投資が「コスト」と呼ばれる最大の理由です。
経営層は、P/L(損益計算書)やB/S(貸借対照表)といった財務諸表の数値、すなわち「売上」「利益」「コスト削減」「企業価値向上」という言語でビジネスを評価します。
一方、IT・セキュリティ部門は、「脆弱性」「脅威インテリジェンス」「インシデント検知・対応時間(MTTD/MTTR)」といった技術的な言語を用いがちです。
「新しいファイアウォールで脆弱性Aを塞げます」と説明しても、経営層には「それが自社の利益にどう貢献するのか?」が伝わりません。この「言語の壁」が、投資の必要性に対する理解を阻害しています。
理由1、2とも関連しますが、セキュリティ投資のROIを具体的に提示できていないケースが非常に多いです。
「セキュリティを強化すれば安心です」といった定性的な説明では、具体的な投資判断は下せません。多くのお客様からも、「ROIの算出方法がわからない」「説明資料の作り方に悩んでいる」という声を頻繁に伺います。
「守り」の価値(損失回避)をどう定量化し、さらに「攻め」の価値(ビジネス貢献)をどう上乗せして伝えるか。このロジックを組み立てられない限り、「コスト」という認識を覆すことはできません。
この状況を打開する鍵は、セキュリティ投資を「守り」と「攻め」の両面から再定義し、その価値を統合して提示することです。
まず、従来から語られてきた「守り」の価値です。これはビジネスの基盤となる重要な要素であり、その価値を「見える化」する努力が不可欠です。
| 守りの価値 | 具体的なビジネスインパクト |
| 事業継続性の確保 | サイバー攻撃によるシステム停止やデータ損失を防ぎ、安定した事業運営を可能にする。 |
| ブランドイメージの保護 | 情報漏洩などのインシデントによる信用の失墜や顧客離れを防ぐ。 |
| コンプライアンス対応 | GDPRや改正個人情報保護法など、国内外の法規制や業界基準への準拠を確実にし、罰金などのリスクを回避する。 |
| インシデント対応コストの削減 | 迅速な検知と対応により、インシデント発生時の復旧コストや調査費用を最小限に抑える。 |
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しかし、経営層の心を本当に動かすのは、ここから先の「攻め」の価値です。堅牢なセキュリティは、もはや守りのためだけのものではありません。それは、イノベーションを加速させ、新たなビジネスチャンスを創出するための強力な「イネーブラー(実現要因)」です。
| 攻めの価値 | 具体的なビジネスインパクト |
| ビジネスアジリティの向上 | ゼロトラストのような先進的なセキュリティモデルにより、従業員は場所やデバイスを問わず安全に業務を遂行できる。ハイブリッドワークの推進や迅速な意思決定が可能になる。 |
| DX推進の加速 | クラウドやAIなどの新技術を、セキュリティリスクを恐れることなく積極的に活用できる。これにより、新サービスの市場投入までの時間(Time to Market)を短縮し、イノベーションを促進する。 |
| 顧客信頼の獲得と売上向上 | 高度なセキュリティ対策を講じていることを顧客にアピールすることで、「信頼できる企業」としてのブランドを確立し、選ばれる理由となる。(特にBtoB取引やサプライチェーンにおいて重要性が増している) |
| 優秀な人材の獲得 | セキュアで柔軟な働き方を提供できる企業は、優秀な人材にとって魅力的であり、採用競争において優位に立てる。 |
セキュリティ投資は、事業の俊敏性と回復力(レジリエンス)を高め、企業の成長を直接的にドライブします。この「攻守両面」の価値を統合してROIを提示することが、経営層との対話を成功に導く新常識です。
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「守りの価値は分かった。しかし、それをどうやって金額で示すのか?」――これが次の壁です。100%正確な算出は不可能ですが、「試算する努力」こそが経営層との対話の第一歩となります。
セキュリティリスクを定量的に評価する代表的な手法に「ALE(年間予想損失額)」があります。
ALE (Annualized Loss Expectancy) = SLE (Single Loss Expectancy) × ARO (Annualized Rate of Occurrence)
SLE(1回あたりの予想損失額): インシデントが1回発生した場合の損失額。(例:復旧コスト、売上機会の損失、罰金、ブランド毀損による顧客離れなど)
ARO(年間発生頻度): そのインシデントが1年間に発生する予測回数。(例:過去のデータや業界統計から 0.1回/年 などと試算)
例えば、「基幹システムがランサムウェアで停止する」リスクに対し、SLEが5億円、AROが0.2回/年(5年に1回)と試算した場合、ALEは1億円となります。
この「年間1億円のリスク」に対し、「5,000万円のセキュリティ投資でAROを0.05回/年(20年に1回)に低減できる(=ALEを2,500万円に圧縮できる)」と説明できれば、これは7,500万円の損失を回避する「投資」として議論が可能になります。
もちろん、SLEやAROの算出は容易ではありません。しかし、「我々はこのようにリスクを試算し、この投資によってリスクをこれだけ低減できると考えている」という論理的な説明責任(アカウンタビリティ)を果たす姿勢が、経営層の信頼を得る上で不可欠です。
もう一つの「守りのROI」は、セキュリティ運用の効率化によるTCO(総所有コスト)の削減です。
多くの企業では、異なるベンダーのセキュリティ製品(ファイアウォール、EDR、CASBなど)を場当たり的に導入した結果、管理コンソールが乱立し、運用がサイロ化しています。
アラートが大量に発生し、分析に忙殺される。
各製品の連携が取れず、インシデントの全体像が掴めない。
結果として、セキュリティ担当者の人件費(運用コスト)が高騰する。
これを統合的なセキュリティプラットフォームに置き換えることで、アラートを集約・自動分析し、運用負荷を大幅に軽減できます。これは「セキュリティ担当者〇〇人分の工数を削減できる」という、経営層にも分かりやすい直接的なコスト削減(ROI)に繋がります。
「守りのROI」で損失回避の重要性を伝えた上で、経営層の心を動かす「攻めのROI(ビジネス貢献)」を提示します。
ハイブリッドワークが常態化する中で、「社内は安全、社外は危険」という従来の境界型防御モデルはもはや通用しません。
ゼロトラストモデルを実現するセキュリティ基盤(例:Google CloudのBeyondCorp Enterprise)を導入することは、一見すると厳しい制約のようですが、実はビジネスに大きな自由をもたらします。セキュアな基盤が整うことで、従業員は自宅や外出先、海外拠点など、どこからでも安全に社内リソースにアクセスできます。
これは、「セキュリティの心配をすることなく、新しい働き方やグローバルな事業展開といった“攻め”の戦略を加速できる」という、明確なビジネス価値(攻めのROI)となります。
多くの企業がクラウドやAIを活用した新サービスの開発を急いでいます。しかし、開発プロセスにセキュリティが組み込まれていない(DevSecOpsが実現できていない)場合、リリース直前に深刻な脆弱性が発見され、プロジェクトが停止・手戻りするケースが後を絶ちません。
セキュリティを開発の上流工程から組み込む(シフトレフト)投資を行うことで、手戻りを防ぎ、新サービスの市場投入までの時間(Time to Market)を短縮できます。これは、競合他社に対する先行者利益の確保という、直接的な売上貢献に繋がります。
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特にBtoBビジネスにおいて、取引先のセキュリティ体制を選定基準にする(サプライチェーンセキュリティ)動きが加速しています。
「ISO 27001を取得している」「高度なセキュリティ対策を講じている」といった事実は、単なるコンプライアンス対応に留まりません。それは「信頼できるパートナー」であることの証明であり、顧客が自社を選ぶ強力な理由(競争優位性)となります。これは、受注率の向上やLTV(顧客生涯価値)の向上という形で、ビジネスに貢献します。
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では、具体的にどのようにして「攻守両面」の価値を最大化すればよいのでしょうか。多くの企業が陥る「よくある失敗」とその解決策を見ていきましょう。
最大の課題は、脅威が発生するたびに個別のセキュリティ製品(ポイントソリューション)を導入し、システム全体が複雑化・サイロ化してしまうことです。
これにより、セキュリティ運用チームの業務負荷が増大し(守りのコスト増)、システム全体の見通しが悪化することで、新しいテクノロジーの導入が遅れる(攻めの足かせ)という悪循環に陥ります。
この課題を解決するのが、統合的なセキュリティプラットフォームです。企業内に散在する様々なセキュリティログやアラートを単一の場所に集約し、AI技術を活用して脅威を高速かつ高精度に検知・分析・対応します。
これにより、セキュリティ運用チームは「アラート対応」という受け身の業務から解放され、「脅威ハンティング」や「リスクのプロアクティブな低減」といった、より価値の高い業務に集中できます。これは前述した「TCO削減(守りのROI)」と「インシデント対応の迅速化(損失の最小化)」に直結します。
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サイロ化したシステムでは、ハイブリッドワークやクラウド活用といった現代のビジネススピードに対応できません。
「すべてを信頼しない」ことを前提に、アクセスごとに厳格な認証・認可を行うゼロトラストアーキテクチャの構築は、もはや不可欠です。これは、旧来の境界型防御を刷新し、セキュアなビジネス基盤(攻めのROI)を実現するための根幹となる投資です。
これらの「統合プラットフォーム」と「ゼロトラスト」を高いレベルで実現し、企業のセキュリティ投資対効果を飛躍的に向上させる強力な答えが、Google Cloudの活用です。Googleは、世界最大級のサービスを自ら支える堅牢なインフラと、先進的なセキュリティソリューションを統合的に提供しています。
Google Cloudが提供する「Google Security Operations」は、まさに前述した「統合プラットフォーム」です。Googleの持つ膨大な脅威インテリジェンスとAI技術を活用し、企業内のあらゆるセキュリティデータを集約・分析します。
これにより、従来は高度なスキルを持つ専門家が数日かけて行っていた分析作業を、高速に実行できます。これは、セキュリティ運用コスト(TCO)の大幅な削減(守りのROI)に貢献します。
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Google Security Operationsには「Gemini」が組み込まれています。これにより、自然言語で脅威に関する質問を投げかけるだけで、膨大なデータから関連性の高い情報を抽出し、脅威の概要や推奨される対応策を分かりやすく提示してくれます。
これは、インシデント対応の迅速化(=ビジネスインパクトの最小化)だけでなく、セキュリティ人材の育成やスキルギャップの解消にも貢献し、投資対効果をさらに高める要因となります。
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Google Cloudが提唱するゼロトラストモデルを実現する「BeyondCorp Enterprise」は、まさに「攻め」のビジネス基盤です。
これにより、従業員は場所やデバイスを問わず安全に業務を遂行でき、企業はセキュリティの心配をすることなく、ハイブリッドワークやグローバル展開といった「攻め」の戦略を加速させることができます。
理論やテクノロジーを理解した上で、最終的に重要となるのが、経営層に「自分たちのビジネスの言葉」で伝えることです。
まずは、自社の経営計画や事業戦略を深く理解し、「セキュリティ投資が、どのビジネス課題の解決に、どのように貢献するのか」を明確に言語化します。
例1(製造業): 「スマートファクトリー化を推進する上で、工場ネットワークのセキュリティ確保(OTセキュリティ)は、生産ラインの安定稼働(=事業継続性)に不可欠な投資です。」
例2(金融業): 「競合他社に先駆けて新しいオンラインサービスを投入するためには、セキュアな開発環境の構築(DevSecOps)が市場投入時間の短縮に繋がり、先行者利益を確保できます。」
次に、「攻守両面」の価値を測定するための具体的な指標(KPI)を設定します。ALEのような完全な定量化が難しくても、プロセスを測定する指標を置くことが重要です。
| 評価軸 | KPIの例 |
| 守りの価値 |
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| 攻めの価値 |
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最初から全社規模での大規模な投資を求めるのではなく、特定の部門やプロジェクトでスモールスタートし、具体的な成功事例を作ることも有効なアプローチです。
例えば、「最もクリティカルなシステムをGoogle Cloudに移行し、Google Security Operationsで監視を始める」といった形です。そこで得られた「インシデント対応時間が50%削減された」「運用コストが30%削減された」といった具体的な成果は、次の投資判断を促す上で何より強力な説得材料となります。
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ここまで解説してきた「攻守両面」のROI評価や、Google Cloudを活用した先進的なセキュリティ戦略を、自社だけで計画・実行するのは容易ではありません。特に、中堅・大企業では既存システムとの連携や、部門間の調整など、複雑な課題が伴います。
このような場合、客観的な視点と豊富な知見を持つ外部の専門家パートナーを活用することが、プロジェクト成功の鍵となります。私たち『XIMIX』は、Google Cloudのプレミアパートナーとして、数多くの中堅・大企業のDX推進とセキュリティを支援してまいりました。
私たちの強みは、単にGoogle Cloudの製品を導入するだけではありません。お客様の経営課題やビジネス課題を深く理解し、「その投資がビジネス価値にどう繋がるか」という経営層の視点に立った具体的なシステム設計、導入、そして継続的な運用最適化までをワンストップでご支援します。
セキュリティ投資を真にビジネスを加速させる力に変えたいとお考えの際は、ぜひ一度、私たちにご相談ください。
XIMIXのGoogle Workspace 導入支援についてはこちらをご覧ください。
XIMIXのGoogle Cloud 導入支援についてはこちらをご覧ください。
セキュリティ対策を、単なる「コスト」として捉える時代は終わりました。これからの時代に求められるのは、事業リスクを低減する「守り」の価値と、ビジネスの成長を加速させる「攻め」の価値を両立させ、戦略的な「投資」として位置づける視点です。
本記事でご紹介したポイントを以下にまとめます。
根本原因の理解: 投資効果が見えにくい点に加え、「経営層との言語の壁」や「ROIの説明責任の欠如」が、「コスト」と見なされる根本原因である。
ROIの新常識: 「守りのROI(損失回避額の試算、TCO削減)」と「攻めのROI(ビジネス加速、競争優位性)」を統合し、自社のビジネス課題と接続して経営層に提示することが重要。
Google Cloudの活用: 統合プラットフォーム(Google Security Operations)やゼロトラスト(BeyondCorp Enterprise)は、セキュリティ投資のROIを最大化する強力な武器となる。
実践的アプローチ: ビジネス課題との接続、KPI設定、スモールスタートを通じて、着実に成果を積み上げ、経営層の理解を得ることが成功の鍵。
セキュリティ投資に関する意思決定は、企業の未来を左右する重要な経営判断です。本記事が、その判断の一助となり、貴社の持続的な成長に貢献できれば幸いです。