企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)が加速する中、その基盤を支える「IDとアクセス管理」の重要性はかつてないほど高まっています。しかし、その管理が不十分である場合、単なる情報漏洩やシステム障害といったインシデントに留まらず、企業の存続そのものを脅かす「経営危機」に直結する可能性があることは、まだ十分に認識されていません。
「うちは基本的な対策はしているから大丈夫」という思い込みこそが、最も危険な兆候かもしれません。
本記事では、これまで多くの中堅・大企業の課題解決を支援してきた専門家の視点から、ID/アクセス管理の失敗が招く、具体的で恐ろしい5つの経営危機シナリオを提示します。さらに、なぜ多くの企業が同じ過ちを繰り返すのか、その構造的な原因を解き明かし、事業を守るための本質的な解決策である「ゼロトラストアプローチ」と、それをGoogle Cloudで実現する具体的な手法を解説します。
かつてID管理は、情報システム部門が担う運用業務の一つと見なされていました。しかし、事業環境の劇的な変化により、その位置づけは大きく変わりました。
業務効率化や新規事業創出のため、企業は多くのSaaSやクラウドサービス(IaaS/PaaS)を導入しています。従業員一人ひとりが利用するアプリケーションの数は爆発的に増加し、IDとパスワードは社内外のシステムに散在。その全体像を正確に把握し、一元的に管理することは極めて困難になっています。
リモートワークやハイブリッドワークが定着し、従業員は社内ネットワークの内外を問わず、様々なデバイスから企業のデータにアクセスします。もはや、「社内は安全、社外は危険」という従来の「境界型防御モデル」は完全に崩壊しました。誰が、いつ、どこから、何にアクセスしているのかを正確に把握する必要性が格段に高まっています。
近年のサイバー攻撃は、特定の企業を狙い撃ちにする標的型攻撃が主流です。特に、セキュリティ対策が比較的脆弱な取引先や子会社を踏み台にして、本丸である大企業へ侵入する「サプライチェーン攻撃」は深刻な脅威です。攻撃者は正規のID情報を窃取・悪用してシステム内部に潜入するため、従来の防御策では検知が困難です。IPA(情報処理推進機構)が発表した「情報セキュリティ10大脅威」でも、サプライチェーンの弱点を悪用した攻撃は、引き続き最上位の脅威として挙げられています。
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ここでは、ID/アクセス管理の不備が引き起こす、絵空事ではない具体的な悲劇のシナリオをご紹介します。
ある中堅メーカーでは、退職した営業担当者のアカウントが削除されずに放置されていました。攻撃者はダークウェブで流出していた別のサービスのパスワードリストからこのアカウントにログインを試み、成功。社内システムへの侵入を足がかりに、取引先との共有フォルダにアクセスし、機密性の高い設計図や顧客情報を窃取。結果、自社だけでなく、複数の大手取引先にも被害が拡大し、サプライチェーン全体を揺るがす大規模な情報漏洩事件へと発展。損害賠償と信用の失墜により、同社は事業の大幅な縮小を余儀なくされました。
システム開発を外部委託していたある金融機関。プロジェクトの利便性を優先し、協力会社のエンジニアに必要以上のアクセス権限(特権ID)を付与していました。プロジェクト終了後もその権限は見直されず、困窮したエンジニアが悪意を持って顧客データベースにアクセス。数万件の個人情報を不正に持ち出し、名簿業者に売却しました。監督官庁からの厳しい行政処分と、顧客からの集団訴訟に発展し、ブランドイメージは地に落ちました。
情シス部門の管理者が利用する「特権ID」のパスワード管理が杜撰だったある商社。フィッシング詐欺により管理者のアカウント情報が漏洩し、攻撃者が社内ネットワークに侵入。サーバーの管理者権限を乗っ取った攻撃者は、基幹システムやバックアップデータを暗号化するランサムウェアを実行。身代金の要求に加え、システムが完全に停止したことで、受発注から決済までの全業務がストップ。復旧の目処が立たず、事業継続の危機に瀕しています。
各事業部門が、情報システム部門の承認を得ずに便利なSaaSを個別に契約(シャドーIT)。ある日、海外のマーケティング部門が利用していたファイル共有サービスから、EU市民の個人情報を含むデータが漏洩。これがGDPR(EU一般データ保護規則)違反と認定され、全世界売上の数%に相当する巨額の制裁金を課される事態に。会社として存在すら把握していなかったサービスが、経営を揺るがすリスクの発生源となりました。
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ある企業の従業員が、業務効率化のために無償の生成AIサービスに、社内の機密情報を含む会議議事録を要約させました。このAIサービスは入力された情報を学習データとして再利用する規約になっており、議事録に含まれていた未公開のM&A情報が、意図せず外部に漏洩するリスクを生み出してしまいました。従業員一人ひとりのクラウドサービス利用をIDレベルで制御できていなかったことが原因です。
これらのシナリオは、決して他人事ではありません。多くの企業が、程度の差こそあれ、同様のリスクを抱えています。その背景には、根深い構造的な課題、いわば「三重苦」が存在します。
長年利用してきたオンプレミスの Active Directory と、SaaSごとに存在する複数のID。これらが連携されずにサイロ化し、誰がどのシステムにアクセスできるのか、全体像を誰も把握できていない状態です。
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IDの発行や権限の付与は情シス、しかし実際の利用者の管理責任は事業部門、というように責任の所在が曖昧になりがちです。結果として、異動や退職に伴うIDの棚卸しが形骸化し、不要なアカウントが放置される温床となります。
「まさか自社の従業員が不正はしないだろう」という性善説に基づいた緩い権限管理や、複雑すぎるパスワードポリシーによるパスワードの使い回しなど、ルールが現場の実態に即していないケースが多く見られます。
これらの複雑な課題を解決するアプローチが、「ゼロトラスト」です。これは、「社内ネットワークは安全」という従来の前提を捨て、「すべてのアクセスを信頼しない(Trust Nothing, Verify Everything)」ことを基本理念とするセキュリティモデルです。
ゼロトラスト環境では、社内・社外を問わず、すべてのアクセス要求に対して、ユーザーの本人確認(認証)と、そのユーザーに許可された操作かどうかの確認(認可)を厳格に行います。
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多要素認証(MFA)の導入はもちろんのこと、役職や業務内容に応じて必要最小限の権限のみを付与する「最小権限の原則」を徹底します。これにより、万が一IDが侵害されたとしても、被害を最小限に食い止めることができます。
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ゼロトラストの理念を実現する上で、Google Cloud は強力なソリューションを提供します。
Google Cloud の IAM は、「誰が」「どのリソースに対して」「何をする権限を持つか」を詳細に定義できます。事前定義された役割や、カスタムロールを作成することで、前述の「最小権限の原則」を容易に実現し、内部不正や設定ミスのリスクを大幅に低減します。
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Google が自社で長年運用してきたゼロトラストモデルを製品化したのが BeyondCorp Enterprise です。従来のVPNとは異なり、ユーザーとデバイスの信頼性を都度検証し、暗口化されたトンネルを通じて特定のアプリケーションへのアクセスのみを許可します。これにより、場所やデバイスを問わず、セキュアで快適なアクセス環境を従業員に提供できます。
多くの企業で利用されている Google Workspace は、ID管理の基盤としても強力です。SAML認証に対応した多くのSaaSと連携させることで、Google Workspace へのログインだけで各種サービスを利用できるシングルサインオン(SSO)環境を構築。利便性を向上させると同時に、情報システム部門によるIDの一元管理を実現します。
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強力なツールを導入するだけでは、改革は成功しません。長年の経験から、成功するプロジェクトには共通する3つの鍵があることがわかっています。
まずは、社内に存在するID、サーバー、SaaSをすべて洗い出し、「誰が、何にアクセスできる状態にあるか」を徹底的に可視化することから始めます。この現状把握(棚卸し)こそが、最も重要でありながら、最も労力を要するステップです。
全社一斉の改革は、現場の抵抗や混乱を招きがちです。まずは特定の部門やシステムを対象にスモールスタートで始め、成功事例を作ることで、他部門への展開をスムーズに進めることができます。
ID/アクセス管理は、一度構築して終わりではありません。入退社や異動に合わせた申請・承認フローの整備、定期的な権限の見直し(棚卸し)といった運用を定着させることが不可欠です。また、セキュリティは「自分ごと」であるという意識を全社的に醸成していく文化作りも同時に進める必要があります。
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ここまでお読みいただき、ID/アクセス管理の重要性と、対策の複雑さをご理解いただけたかと思います。「成功の鍵」で述べたように、特に最初のステップである「現状の可視化とリスク評価」や、継続的な「運用設計」は、深い専門知識と客観的な視点がなければ、的確な実行は困難です。
自社だけで改革を進めるにはリソースやノウハウが不足している、どこから手をつければ良いかわからない、といった課題をお持ちではないでしょうか。
私たちXIMIXは、Google Cloudの専門家集団として、お客様の現状アセスメントから、ゼロトラストに基づいたID/アクセス管理基盤の設計・構築、そして最も重要な運用定着まで、一気通貫でご支援します。数多くの中堅・大企業のDXをご支援してきた実績と知見を基に、お客様の事業環境に最適な、現実的かつ効果的なセキュリティ改革をご提案します。
貴社のセキュリティ体制に関するご相談や、具体的なソリューションに関するお問い合わせは、下記よりお気軽にご連絡ください。
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IDとアクセス管理は、もはや単なるITの課題ではなく、企業の事業継続を左右する「経営課題」です。DX推進の裏側でID管理がカオス化し、本記事で示したような深刻なシナリオが現実のものとなる前に、今こそ本質的な対策に着手すべき時です。
その第一歩は、自社に潜むリスクを正しく認識することから始まります。そして、「ゼロトラストアプローチ」を基本に、堅牢かつ柔軟なセキュリティ基盤を構築することが、変化の激しい時代において企業の競争力を維持し、持続的な成長を実現するための不可欠な投資となるでしょう。