デジタルトランスフォーメーション(DX)推進の切り札として、ノーコード/ローコードツールの導入が急速に進んでいます。市場調査レポート(例:株式会社アイ・ティ・アール「ITR Market View:ローコード/ノーコード開発市場2025」)によれば、国内市場は高い成長率を維持しており、多くの企業が現場主導の業務改善や開発スピードの向上に期待を寄せています。
しかしその一方で、「現場のDX推進のために導入したはずが、かえって情報システム部門(情シス)の管理負担が増大している」という深刻な課題に直面する企業が少なくありません。
結論から言えば、この問題の原因はツールそのものではなく、導入後の「ガバナンス(統制)設計」と「運用体制」の不備にあります。特にシステムが複雑化しやすい中堅・大企業において、この問題は顕在化しやすくなります。
本記事では、XIMIXが支援してきた多くの企業の事例を踏まえ、ノーコード/ローコード導入がIT部門(情シス)の負担増につながる根本原因を分析します。その上で、Google Cloud / Google Workspace (特にAppSheetなど) 環境を前提に、現場の活力を削がずに統制を効かせる「攻めのガバナンス」を実現する実践的アプローチを解説します。
手軽にアプリケーションを開発できるノーコード/ローコードツールは、現場部門(市民開発者)のIT活用を促進します。しかし、何のルールもないまま導入を進めると、IT部門は以下のような課題に対応しきれなくなります。
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最も深刻な問題が、IT部門が把握・管理できないアプリケーション、いわゆる「野良アプリ」の乱立です。調査データ(例:株式会社ドリーム・アーツ「大企業の従業員1000名に聞いた『市民開発』に関する調査」2022年)でも、「システムが乱立、個別最適化されてしまう」ことが市民開発の大きな課題として挙げられています。
各部門が個別の判断でアプリを作成・利用し始めると、IT部門は「全社でどのようなアプリが、どのデータにアクセスして動いているのか」を全く把握できなくなります。これが「シャドーIT」の温床となり、重大なセキュリティインシデントやデータガバナンス不全の引き金となります。
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現場部門は、必ずしもITセキュリティや個人情報保護法などのコンプライアンスに関する知識を十分に有しているわけではありません。
その結果、悪意なく作成されたアプリが、機密情報や個人情報への不適切なアクセス権限を持っていたり、外部サービスとの連携設定に不備があったりするケースが発生します。万が一、情報漏洩が発生した場合、その管理責任は企業全体、そして最終的にはIT部門が問われることになります。
市民開発者が作成したアプリは、品質に大きなばらつきが生じがちです。また、作成者が異動や退職をした途端、そのアプリの仕様やロジックが誰にも分からない「ブラックボックス」状態に陥ります。
「動かなくなったから直してほしい」「仕様を変更したい」といった問い合わせが、作成者本人ではなくIT部門に殺到するようになります。IT部門は、自身が関与していない無数のアプリの解析とメンテナンスに追われ、本来注力すべき全社的なIT戦略の実行が妨げられてしまうのです。
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これらの課題は、企業の規模が大きくなるほど、また歴史が長い企業ほど深刻化する傾向があります。その背景には、中堅・大企業特有の構造的な要因が存在します。
中堅・大企業は組織が細分化されており、各事業部や部門がそれぞれのKPI(重要業績評価指標)を追求する「部門最適」の意識が強く働きがちです。
ノーコード/ローコードツールは、この部門最適の動きを加速させる可能性があります。「自分たちの業務は、自分たちで素早く改善したい」というニーズに応える半面、全社的なデータ連携や業務プロセスの標準化といった「全社最適」の視点が見落とされがちになります。結果として、部門ごとにサイロ化されたアプリが乱立し、統制が取れなくなります。
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多くの企業には、長年運用されてきた基幹システム(ERP)や各種業務システムが存在します。現場が作成するアプリが「本当に価値を生む」ためには、これらの既存システムに蓄積されたマスタデータや取引データとの連携が不可欠です。
しかし、これらの連携処理をガバナンス不在のまま現場に委ねることは、データ不整合やシステムダウンといった重大なリスクを伴います。結果として、IT部門が個別の連携要求の対応やリスク評価に忙殺されることになります。
DX推進の掛け声のもと、「とにかくスピード感を持って成果を出せ」というプレッシャーが現場にかかっているケースも少なくありません。
IT部門がガバナンスの重要性を説いても、「現場のスピード感を阻害する抵抗勢力」と見なされてしまうことがあります。 これにより、統制ルールの策定が後回しにされ、問題が顕在化してからでは手遅れ、という事態を招きます。
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ここまで見てきたように、IT部門の負担増はツールの機能的な問題ではなく、導入と運用の戦略、すなわち「ガバナンス設計」の失敗に起因します。
最も陥りやすい失敗は、「ツールを導入すれば、現場が勝手にDXを進めてくれるだろう」という期待のもと、利用ライセンスだけを配布し、あとは現場任せにしてしまうことです。
利用ルール、開発可能なアプリの範囲、アクセスしてよいデータの範囲、品質担保の基準、問題発生時の責任分界点など、最低限のガードレールがなければ、混乱が生じるのは必然です。
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成功する企業は、ノーコード/ローコードを「無法地帯」として放置するのではなく、「管理されたイノベーションの場」として位置づけています。
現場の自由度やスピード感を可能な限り維持しつつ、企業全体としてのセキュリティと品質を担保する。この「市民開発の推進(攻め)」と「ITガバナンス(守り)」の相反するように見える二つの要素を両立させることこそが、決裁者とIT部門に求められる役割です。
では、具体的にどのように「攻め」と「守り」を両立させればよいのでしょうか。ここでは、多くの企業が導入している Google Workspace と親和性が高いノーコードプラットフォーム「AppSheet」を軸に、Google Cloud 環境で実現するガバナンス戦略のステップを解説します。
シャドーITを防ぐ第一歩は、利用するノーコード/ローコードプラットフォームを全社で標準化・集約することです。Google Workspace を利用している企業であれば、AppSheet を標準プラットフォームと定めることが合理的です。
AppSheet は、Google Workspace の管理コンソールから利用制御やポリシー適用が可能であり、Google スプレッドシートや BigQuery など、既存のデータ資産との連携もスムーズです。まずは「安全に使える砂場」として AppSheet を提供し、勝手なツールの利用を抑制します。
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アプリの乱立以上に危険なのが「データの乱用」です。現場がどのデータにアクセスしてよいかを定義するデータガバナンスが不可欠です。
例えば、Google Cloud の BigQuery をデータソースとして利用する場合、IAM (Identity and Access Management) によって、ユーザーや AppSheet のサービスアカウントごとに、どのデータセットやテーブルに対する参照・更新権限を持つかを厳密に制御します。これにより、「人事部の担当者が作成したアプリから、誤って全社の機密情報にアクセスできてしまう」といったリスクを未然に防ぎます。
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プラットフォームとデータを整備したら、次は「ルール」の策定です。以下のよ うなガイドラインを定義し、全社に周知徹底します。
開発対象の範囲: どのような業務アプリなら現場で開発してよいか(例:部門内完結の業務)、逆にIT部門が関与すべきアプリは何か(例:基幹システムと連携するもの、全社で利用するもの)を定義する。
品質・セキュリティ基準: アプリの命名規則、テストの実施方法、必須のセキュリティ設定(例:ユーザー認証の必須化)などを定める。
ライフサイクル管理: 誰がアプリの責任者か、利用されなくなったアプリをいつ棚卸し・廃棄するか、といった運用ルールを明確にする。
ルールを作るだけでは、ガバナンスは形骸化します。最も重要なのは、IT部門(情シス)の「役割変革」です。
従来の、リスクを恐れて「あれもダメ、これもダメ」と制限する「門番(ゲートキーパー)」としての役割から脱却しなくてはなりません。
目指すべきは、現場の市民開発者を支援・教育し、ガイドラインに沿った安全なアプリ開発を導く「推進パートナー」です。そのための具体的な施策が、CoE (Center of Excellence) と呼ばれる全社横断的な専門家組織の設置です。CoEは、ガイドラインの策定・維持、現場への技術サポート、優れたアプリの社内展開などを担い、統制と活用の「ハブ」として機能します。
DXの新たな変数として「生成AI」の活用が急速に進んでいます。Google Cloud においても、Vertex AI や Gemini for Google Cloud / Workspace が、データ分析(Looker Studio)やアプリ開発(AppSheet)のプロセスに組み込まれています。
例えば、自然言語で「こういうアプリが欲しい」と指示するだけで AppSheet がアプリの雛形を生成したり、Vertex AI が BigQuery のデータを分析・予測し、その結果を AppSheet で可視化したりといった活用が現実のものとなっています。
これは開発効率を飛躍的に高める一方で、ガバナンスの新たな論点を提示します。
生成AIが参照・学習してよいデータは何か?
生成AIが作成したロジックやアプリの品質・セキュリティをどう担保するか?
AIの利用コストは誰が管理するのか?
ノーコード/ローコードのガバナンス設計は、こうした生成AIの活用も視野に入れた、より高度なデータガバナンスと一体で考える必要があります。
ノーコード/ローコードツールの導入は、単なるツールの配布であってはなりません。それは、現場(市民開発者)、IT部門、そして経営層が一体となって取り組む「全社的なDX推進体制の再構築」そのものです。
現場の暴走とIT部門の負担増を防ぐために、ツール導入の「前に」検討すべきは、本記事で解説したガバナンスの全体像です。
どのプラットフォームに標準化するか?
データアクセス権限をどう制御するか?
開発と運用のルール(ガイドライン)をどう定めるか?
IT部門(CoE)は現場をどう支援する体制を作るか?
これらの問いに対する明確な答えなくして、導入の成功はありません。
しかし、中堅・大企業の複雑な既存システムや組織構造を踏まえた上で、これら「攻め」と「守り」を両立するガバナンスモデルをゼロから構築し、運用を定着させていくことは容易ではありません。
そこには、Google Cloud や Google Workspace の技術的な知見だけでなく、多くの企業のDX推進を支援してきた豊富な経験に基づく「全体設計」のノウハウが不可欠です。
『XIMIX』は、Google Cloud の専門家集団として、単なる AppSheet のライセンス提供やアプリ開発支援に留まりません。お客様のDX戦略や既存システムの状況を深く理解し、ノーコード/ローコード活用の「あるべき姿」を共に描き、本記事で解説したようなガバナンス体制の設計、CoEの立ち上げ、そして現場への運用定着までをワンストップでご支援します。
現場の活力を最大限に引き出しつつ、全社的な統制を効かせる「攻めのガバナンス」の実現は、専門的な知見を持つパートナーと共に進めることが成功への最短距離です。
XIMIXが提供するGoogle Cloud環境のガバナンス設計や、AppSheetを活用した市民開発の推進支援にご興味をお持ちいただけましたら、ぜひお気軽にご相談ください。
XIMIXのGoogle Workspace 導入支援についてはこちらをご覧ください。
XIMIXのGoogle Cloud 導入支援についてはこちらをご覧ください。
ノーコード/ローコードツールの導入が、かえってIT部門の管理負担を増やしてしまう問題は、ツールの選定ミスではなく、ガバナンス設計の不備に起因します。
特に中堅・大企業では、部門最適の加速や既存システムとの連携といった構造的な課題が、シャドーITやブラックボックス化を助長しがちです。
この問題を解決し、現場のDX推進力と全社的な統制を両立させる鍵は、以下の4点にあります。
プラットフォームの標準化(例:AppSheetへの集約)
データガバナンスの確立(例:BigQueryとIAMによる制御)
明確なガイドラインの策定
IT部門の役割変革(「門番」から「CoE」を中心とした推進パートナーへ)
これらの「攻めのガバナンス」体制を構築することは、生成AIの活用といった新たな技術トレンドに対応するためにも不可欠です。自社だけでの全体設計や体制構築が困難な場合は、専門家の知見を活用し、DX推進を確実な成功へと導くことをご検討ください。